■高速道路と街の景観の変化

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 交通難は単に平面における道路整備だけでは、打開できない。そこで、新たな問題として高速道路が建設されることになった。
 首都高速道路公団法が公布されたのは昭和34年4月であった。そして、首都高速道路として最初にできたのが1号線(中央区宝町3丁目から港区海岸3丁目まで)で、開通は昭和37年2月である。昭和42年までに、首都高速環状線、1号羽田線、2号目黒線、3号渋谷線、4号新宿線が開通した。そして、昭和51年度には、区内を走る高速道路の総延長は約15キロメートルに及び、23区中第1位となった。
 区内の高速道路は、一部で平面(港南4丁目付近)と、地下にもぐる(赤坂2丁目の迎賓館付近)ほかはすべて高架式である。そのため区内各地の既設道路上に高架の高速道路が走り、インターチェンジとともに街の景観を一変させた。
 また、一方では高速道路ができたために、日照障害、電波障害、騒音、大気汚染などの公害を一層深刻にするという問題がでてきた。