道路や街の景観を変えたものに、都電の廃止がある。昭和42年12月から昭和44年にかけて都電は撤去された。
区民の足であった路面電車の廃止のあとをたどってみると、
昭和42年12月9日撤去分
第1系統 品川駅―札の辻―東京港口 金杉橋―浜松町一丁目―新橋
第2系統 三田―御成門―田村町一丁目
第3系統 札ノ辻―赤羽橋―飯倉一丁目 溜池―山王下―赤坂見附
第4系統 白金猿町―二本榎―清正公
第5系統 白金台町―清正公―魚籃坂下
第6・9系統 青山五丁目―六本木―新橋
昭和43年9月29日撤去分
第7・8系統 神谷町―巴町―虎ノ門
第9・10系統 青山六丁目―同四丁目―同一丁目
昭和44年10月25日撤去分
第7系統 泉岳寺―天現寺―霞町―権田原
第33系統 浜松町―神谷町―六本木―青山一丁目
第1・4・34系統 古川橋―芝園橋―東京港口
となっており、都電の代替として都営バスが増設されたが、昭和50年代以降は、都営交通の赤字などで、路線を減少させる方向に向かっていた。