第3次の全面改訂

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 昭和35年(1960)ごろから池田内閣の国民所得倍増計画に象徴される高度経済成長の時代が始まった。この経済の発展にともない人的能力の開発の面から教育が論じられるようになり、[図8]のように大学・高校への進学率は著しく増加した。
 第3次学習指導要領の改訂は、小学校は昭和43年度、中学校は昭和44年度に行われた。この改訂の基本方針は「人間形成における基礎的な能力の伸長を図り、国民育成の基礎を養うものであること」「調和と統一のある教育課程の実現を図ること」「指導内容の精選を行い、教育課程の弾力化を図ること」の3点が主な点であった。そして、この学習指導要領は、小学校は昭和46年度、中学校は昭和47年度から全面的に実施された。

[図8]高校・大学等の進学率(『新修港区史』)

 昭和40年代から公害問題が表面化し、更に昭和48年のオイルショックはそれまでの高度経済成長路線に対して深刻な反省を迫った。一方教育現場においては、昭和46年全国教育研究所連盟が授業についていけない児童・生徒についての研究調査の結果を発表し、いわゆる「落ちこぼれ」が問題となった。そして、昭和51年の教育課程審議会の答申が出され、第4次学習指導要領の改訂に発展した。