教育活動を青少年教育、成人教育、体育事業の面からみてみると次のとおりである。
青少年教育では、学級講座として青年学級は昭和43年をピークに参加者は減少し、昭和57年度より港区青年セミナーとして発展的な再出発を図ることになった[注釈20]。青年教室は昭和49年度から開設、昭和55年度は青年大学が開設された。また、指導者の研修として昭和49年度からジュニアリーダー教室、シニアリーダー教室を開設している。
成人教育としては、昭和46年より成人大学が開設された[注釈21]。また、成人大学のテーマをより深く探究したいという区民の要望を受けて昭和50年度より成人セミナーの講座を開設している。更に、高齢者の精神的な豊かさをめざした寿大学は昭和47年度より社会教育課の事業として移管され開かれている。その他、子どもを持つ親に対する家庭教育相談は昭和48年より実施している。
PTAの活動の指導や助言は社会教育課で行っている。PTAは、昭和21年アメリカ教育使節団の勧告にそって作られた父母と教師の会である。本区のPTAは、小・中学校ともに昭和21年4月以降に発足している。それから約20年後の昭和40年代になると都の教育委員会のPTA会費私費負担軽減の通達により、公費による教育施設設備の充実が図られるようになった。そこで、PTAが学校を物的・金銭的に援助する方向から本来の会員の親睦や教養を高め、児童・生徒の資質をのばすために学校に協力する方向に転換した。昭和40年代の活動をみると、講習会や講演会などが各校とも盛んに行われている。それが50年代に入り、スポーツや校外指導などの活動を常時行うなど地味ではあるが定着したものになっている[注釈22]。
社会体育事業では、昭和49年に社会体育課が設置され、昭和50年に港区にスポーツセンターが開設された[注釈23]。スポーツセンターは以前から行われていたスポーツ教室の主会場になり、種目もふえた。家庭婦人を対象にした競技会は昭和43年度からバレーボール、卓球大会[注釈24]、昭和47年度からバドミントン大会が実施され、このころから主婦のスポーツ熱が高まってきた[注釈25]。
関連資料:【文書】中学校教育 芝浜中学校PTA