昭和61年(1986)11月21日、伊豆大島三原山が大噴火を起こした。住民の危険を回避するため、東京都大島町は大島町民全員の緊急避難命令を出し、22日未明から大島町民約1万千名が、港区をはじめ千代田区・中央区・江東区・伊東市などに避難してきた。
本区は、区長を本部長とする対策本部を設置し、スポーツセンター・婦人会館・神明小・芝浦小に約2500名を受け入れた(その後、神明小・芝浦小の避難者は勤労福祉会館に移動)。区職員などが昼夜を通して交替で避難所の対応に当たった。
本区教育委員会は、これら避難者のうち児童・生徒約360名の緊急入学について、26日からの受け入れを決定した[注釈26]。各学校の的確な対応により、これら児童・生徒は無事故で通学することができた。
噴火の鎮静化が認められ、12月19日避難者の帰島を開始し、22日全町民の帰島を終了した。(本章末尾の「伊豆大島噴火災害による児童生徒の緊急入学受入れ」の項参照)
関連資料:【文書】教育行政 大島三原山噴火による児童生徒の入学措置
関連資料:【文書】教育行政 大島三原山噴火による児童生徒の援助措置
関連資料:【文書】教育行政 三原山噴火による大島町児童・生徒の受入れ
関連資料:【文書】教育行政 避難施設関係、学校別入学児童・生徒数
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第10章 危機から逃れていく子ども、逃れてくる子ども
関連資料:【くらしと教育編】第10章第2節 (1)爆発的噴火と緊急避難
関連資料:【くらしと教育編】第10章第2節 (4)全員帰島