遠足と見学[図29][図30]

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 昭和43年(1968)当時の港区の小学校の遠足の実態をみると各学年とも春秋1回ずつ(6年生は移動教室を1回と数える)年間2回実施していたが、その後実施方法も変わってきた。その変化を神応(しんのう)小学校を例にみると[図31]のとおりである。

[図29]1~3学年・春秋別・目的地一覧〔昭和43年度〕


[図30]遠足・鎌倉

 昭和45年度に全校遠足が行われている。全校の児童の連帯感を高め歩くことによって体力の増強を図ろうとしている。昭和47年度に全校遠足として有栖川宮記念公園に行き、集会・写生会を行っているが、ねらいには全校児童のつながりを深めようとする意図があった。昭和50年代に入ると1・2・3・4年の学年合同の遠足が行われている。児童数の減少に伴う変化といえよう。また、バス代などが高くなり家庭の負担が大きくなってくると電車や地下鉄・路線バスを使って行けるところなどに目的地が変わってきている。昭和55年度に6年生は「子どもの国」に行っている。卒業を前にしたお別れ遠足が行われだしたのがこのころからであることがわかる。

[図31]遠足の学年別目的地の移り変り〔神応小学校〕

 遠足の他に現地見学も重視され、理科的なものとしては、4・5・6年生を対象にプラネタリウムでの学習が毎年行われてきている。また、自然教育園その他野外観察のための校外学習も積極的に行われるようになった。
 社会科見学では、3年生は港区めぐり、4年生は都内めぐり、5年生は工場、市場や問屋街、6年生は国会・最高裁判所・新聞社などの見学が毎年行われている。
 その他、6年生を対象にした観劇、昭和47年度からは[注釈3]区内合同の音楽鑑賞教室などが児童の情操を高めるものとして続けられている。