教育目標の変遷

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 教育目標は、学校がその時代どのような姿勢で生徒の教育にあたったかを知る大きな手がかりである。昭和43年(1968)から昭和60年までに各学校で掲げた教育目標をみると、やはり、教育課程改訂の影響を強く受けていることがわかる。すなわち、昭和44年度から昭和47年度にかけて従来の教育目標を改訂した学校が区内11校中8校、昭和55、56年度において改訂した学校は6校で、いずれも教育課程改訂の趣旨を反映している。
 次に教育目標改正の特色について、港区立芝浜中学校を例にみると[図3]、昭和47年に創造力、思考力を高めることがあげられて、ここでは科学教育が叫ばれ、新しい社会の進展に対応した目標をかかげているのである。

[図3]教育目標の移り変り〔芝浜中学校〕

 昭和56年度になると「思いやりのある生徒」がとりあげられているが、この時期にはすでに学校内外での暴力行為やそれに伴う人権問題が危惧されるなどの動きが、学校生活の中で表面化してきているためであろう。
 次に、昭和45年度の区内各校の教育目標の傾向をみると、「ねばり強く学習」「すすんで学ぶ」「正しく学ぶ」などの表現で学習の姿勢を強調している学校が多く、ついで「心身ともに健康」「体をきたえる」「健康」など体力の伸長、情操面の育成を掲げている。教育課程の改訂による「期待される人間像」育成に対応する知育・徳育・体育の3面にわたりバランスのとれた「人づくり」をめざす目標といえよう。
 昭和56年の教育目標では、区内11校中6校までが、「他人を思いやる」「自他の敬愛」「他人の立場を尊重」「思いやりの心」などを第一に掲げ、ついで「創造性」や「深く考える」学習姿勢をとらえた目標となっている。人権問題が大きくとりあげられている世情を反映するとともに、「ゆとりと充実」の学校生活への対応とみることができる。