[図11]港区立幼稚園変遷表
(高輪・白金台幼稚園は独立園、他は小学校に併設)
芝幼稚園 昭和43年4月 芝2―21―3 2学級
氷川幼稚園 昭和43年4月 赤坂6―6―14 2学級
青南幼稚園 昭和43年4月 南青山4―18―17 4学級
神応(しんのう)幼稚園 昭和44年4月 白金6―9―5 2学級
飯倉(いいぐら)幼稚園 昭和44年4月 東麻布2―1―1 2学級
港南幼稚園 昭和44年4月 港南4―3―29 4学級
赤羽幼稚園 昭和45年4月 三田1―4―52 2学級
赤坂幼稚園 昭和45年4月 赤坂4―1―26 2学級
本村幼稚園 昭和46年4月 南麻布3―9―33 2学級
白金台幼稚園 昭和49年4月 白金台3―7―1 4学級
高輪幼稚園 昭和50年4月 高輪2―12―31 6学級(独立園)
昭和50年度までに11の幼稚園が設立されたので、この期間を区立幼稚園の充実期といえるが、都心化現象が急速に進み、その後就園児数の減少をきたし小学校27校、幼稚園25園の状況である。
学級数・園児数の移り変わりを示した[図1]からわかるように、学級数は、昭和43年度から毎年増加の傾向を示し、昭和53年度には最高の74学級になる。それが昭和58年度まで続き、昭和59年度は72となり初めて減少傾向を示している。
[図1]学級数・園児数の移り変わり
園児増加には二つの山がある。一つは、昭和43年度から昭和46年度まで、もう一つは、昭和47年度から昭和50年度までで、著しく増加している。
減少傾向は、昭和52年度から昭和56年度までで、その後昭和57年度から昭和59年度まで尾をひいた減少を続けている。
園児数の移り変わりを、芝北、芝中、芝南、麻布、赤坂5地区に分けて[図2]でみると、麻布地区と赤坂地区はほぼ同じ傾向を示し、昭和46年度に最高に達し、昭和53年まで停滞状況を維持している。芝中地区は、昭和53年度まで増加し、それ以後減少傾向を示している。芝北地区は、昭和43年度からコンスタントに減少傾向を示している。芝南地区は昭和43年度から昭和53年度まで急激に増加し、以後、他の4地区と同じように減少してきている。このことから、昭和43年度から昭和53年度の急速な増加傾向は、芝南地区の園児の増加が大きく作用していることが読みとれる。
[図2]地区別幼稚園児数の変遷
このようにみてくると、昭和52年度までの園児数の増加は、幼稚園の新設と学級数の増加によるものであり、幼児教育に対する区民の要望が反映されたものといえよう。そして、昭和53年度からの減少傾向は幼児の減少によるものと考えられる。それは芝北地区に顕著にみられるような都心空洞化の影響が港区全体に及んできていることを示しているといえよう[注釈2]。
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