区教育研究会の概況

257 ~ 258 / 429ページ
 昭和43年度(1968年度)以降の港区教育研究会の構成の移り変わりは次のとおりである。
 幼稚園研究会は、昭和44年度から幼稚園数が増えはじめ、それにつれて会員数が増加したため研究部の数も昭和44年に3だったものが昭和46年には4になり、更に昭和58年度には5研究部に増えた[注釈16]。
 この研究部は年度ごとに研究テーマが選ばれるようになっている。例えば、昭和44年度の第1研究部は生活指導、第2研究部は指導計画、第3研究部は表現活動となっている。昭和58年の第1研究部は教材研究、第2は環境、第3は飼育栽培、第4は学級経営、第5は好きな遊びとなっている。
 小学校研究会には[図7]のように、8教科、3領域のほか11の課題の研究部がある。昭和44年度以降60年までに「視覚」と「放送」が合併し「視聴覚」になり、「特殊教育」が「心障教育」に改称された程度である。
 中学校研究会は、昭和44年度から昭和60年度までに増えた部は、「学校保健」と「給食」で、「放送教育」と「視覚」は「視聴覚」に統合された。名称の変更は「特殊教育」が「心障教育」に、「図書館」が「図書」になっている。昭和60年度の研究部は[図8]のとおりである。
 各学校の研究会の部への所属の決定は本人の希望が原則であるが、校務分掌に基づいて決まることが多い。

[図7]小学校研究会の研究部


[図8]中学校研究会の研究部

関連資料:【文書】教職員 港区教育研究会・研究状況
関連資料:【学校教育関連施設】