社会教育委員の設置

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 「社会教育法」第15条の規定に基づき、当区に社会教育委員が設置されたのは昭和44年(1969)4月のことである[注釈1]。
 経済の高度成長の過程で、社会の構造や人々の生活意識は急激に移り変わっていったが、それにつれて社会教育に対する区民の意識も変化が見られるようになった。社会の変化に対応するため、生涯を通じた学習の必要性が説かれ始める一方で、現実の生活上の必要から、社会教育行政に対する区民の要望も多様化していった。
 その要望を的確に把握し、区の実情に応じた施策を展開するため、有識者による施策に対する具体的な提言を受ける必要があるという認識が深まり、社会教育委員の設置が図られたのである。
 本区における社会教育委員の構成は学識経験者5名、社会教育関係団体代表3名、小中学校長2名の計10名であるが、その職務は、社会教育に関する教育委員会の諮問に答えることと、社会教育事業の実施に対する助言などである。
 昭和44年度に第1回の答申が行われて以来、[図1]に示したように数多くの答申や報告がなされているが、いずれも当区の社会教育を方向づける上で重要なものばかりである。また、これらの答申や報告は、その時代の世相を反映するものであり、社会教育行政に課せられた課題を知る上からも貴重なものである。
 ちなみに、「港区における社会教育の今後のあり方について」(昭和44年度答申)[注釈2]は本区の特性を「都心区・昼間区としての港区」「活動力に富む港区」「国際区としての港区」であるとし、多様な都市機能の集中した区であると指摘している。

[図1]社会教育委員会の答申及び報告書

 そして、そのような港区における社会教育は「教養、知識、生活技術、スポーツの普及を通じて住民間の相互理解、交流、信頼をはかり、都市生活への適応性を高め、港区に対する理解を深めることにより、よりよい都市生活を築くこと」を目標にすすめるべきであると提言している。社会教育委員の制度を設けたことにより本区の社会教育は格段に推進されることとなったのである。