「社会教育とは何か」について論議が活発化し、特に社会教育行政の責務が問われるようになった。
日々刻々と街の景観が変貌(へんぼう)するといっても過言ではない状況の中から、相隣関係、家庭問題などの地域課題が生起し、社会教育に対する期待が高まるとともに、学習内容についての要望も多様化していった。
そのため、学習に対する需要を予測し、計画的な事業実施や施設建設の必要に迫られるところとなったのである。
『港区の社会教育』(昭和44年度版)では次のように述べている。
まず第一には、社会教育は国民が行うもの、住民が行うものであり、行政機関は住民の自発的意志に基づく活動に必要な援助を行うものであるという社会教育法の根本理念を再確認する必要があるのではないか。ということは、いたずらに行政機関が自ら社会教育事業を行うことに狂奔するあまり、施設整備等の条件整備をおろそかにしたり、ましてや住民を「教化」「善導」しようとしたりしてはならないことを、絶えず自戒する必要がある。
第二には、これまでの港区の社会教育はどちらかといえば、個人の趣味を豊かにすること、個人の教養を高めること、個々の家庭教育を問題にすること、個々の青少年の行動をとりあげることなど、要するに個人の幸福追求を中心に事業を行ってきたわけであるが、今後は更に一歩進んで社会の中で考え、行動する市民、創造性ある市民を育てるべく、また「目覚めた市民型住民層」からなる新しい地域諸団体の形成を図るべく、あらたな構想を持つ必要がある。
第三には、区民の要求・意識・生活などについての科学的調査研究の不足ということ、そのために多種多様な要求に十分こたえるだけの態勢がとりきれなかったということがある。区民の要求を把握し、即応できる体制づくりが必要である[注釈3]。
従来の社会教育行政のあり方を反省し、社会教育法の理念に添いながら時代に即応した施策を展開することを確認するという流れの中で、さまざまな試みがなされる中から、港区の社会教育の施策体系は順次整備されていったのである。
昭和50年(1975)3月に決定した港区基本構想に基づき、同53年1月に策定された港区基本計画の中で社会教育の施策体系は[図2]のようになっていた。
[図2]社会教育の施策体系