■青少年団体の動向

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 昭和40年代に入って、本区の子ども会活動は停滞しがちとなった。昭和43年の調査によれば、この年だけで12の子ども会が解散し、37団体となった。その主な理由は、指導者がいない、活動する場が確保できないなどであったが、そこに急激な都市の変化を見ることができる。また、活動を続けている子ども会においても、年間を通じた継続的な活動は困難となり、学校の長期休業中に行事を行うのみにならざるをえないという状況であった。
 一方、青年団体においては、地域青年会にかわり、趣味同好的なサークル団体が増加してきた。昭和42年には、これらのサークルの中から、相互の連携を図ろうとする機運が高まり、同年1月「港区サークル交歓会」が開催されるとともに、同10月に港区サークル連合が結成され、30団体が加盟した。ちなみに、43年度のサークル交換会は〝心と心で輪をつくろう〟をテーマに、新築なった青年館を会場として、4月28日(日)、36団体の参加を得て、舞台に、作品展示にと青年の情熱を発露した。なお43年の調査では96団体が確認されている。
 なおこの催しは昭和44年度から港区音楽サークル交歓会に変わり48年度まで実施された。
 行政の施策は、このような青少年団体の消長につれて、さまざまな試みがなされたが、その一端に触れれば次のとおりである。