生活の合理化や住みよい環境づくりをすすめる市民運動として新生活運動が推進されるようになったのは昭和30年のことである。37年には港区新生活運動推進協議会が結成され、社会教育課の所管となった。「清掃実践活動」、「ゴミの減量運動」、「蚊とハエの駆除」、「花いっぱい運動」の推進を目標に本格的な取り組みが図られるところとなったわけである。
43年度の状況を見ると、学校花壇協力校3校、環境整備地区2地区、生活学校3校が、それぞれの趣旨に従って活発な活動を展開した。
その後、活動の中心は生活学校に移り、昭和49年7月、港区生活学校連絡協議会が結成された。昭和60年現在では、生活改善、消費者運動などに取り組み、学習や実践活動を続けている。60年度における生活学校は麻布、青山、御田(みた)、高輪の4校である。