生涯教育論の台頭

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 昭和50年代に入ると生涯教育という言葉が一般化し、本区の社会教育は、生涯教育の一環として、改めて見直されるところとなった。昭和40年(1965)、ユネスコの第3回成人教育推進国際会議における、ポール・ラングランの基調論文に端を発し、わが国では、「急激な社会構造の変化に対応する社会教育のあり方について」(46年社教審答申)、「生涯教育について」(56年中教審答申)など、生涯教育の観点からの教育構想が打ち出された。
 生涯教育の必要性が注目されてきた背景には、産業構造の変化に対応できる能力の再開発、多量に流される情報を主体的に選択する能力の開発などのほかに、日本をとりまく国際情勢の変化、高齢化社会への対応など、まさに急激に変化する社会に適応し、将来を見通した生き方を確立するためには、生涯にわたる学習が必要なのだという認識の高まりがあった。
 本区においては、このような時代的すう勢に対処するため、社会教育委員の会議を中心に、その具体的な対応について検討をすすめ、「港区における生涯教育の観点に立った高齢者に対する社会教育の施策について」(58年答申)、「港区における青少年教育の施策について―生涯教育の観点に立っての展開」(60年答申)などによって、今後における基本的な構想が定まったところである。ここに、社会教育行政は大きな転換期を迎えたのである。