国際婦人年と社会教育

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 昭和50年代における本区の社会教育の動向を決定づけたもう一つの大きな要因は、「国際婦人年」を初めとする一連の国際的な行動計画の策定であろう。
 昭和50年、第27回国連総会は同年を「国際婦人年」と定め、婦人問題の解決を各国に求めた。わが国においては、52年3月「国内行動計画」を策定し、東京都はそれを受ける形で、翌年、行動計画を発表、本区においては56年3月に、教育、福祉、労働など、婦人問題にかかわりを持つ、すべての分野にわたる「東京都港区婦人総合計画」を策定しその実現に向けて、具体的な施策を展開することとなり、現在に至っている。
 社会教育では、男女平等観に立った人間形成を推進するための諸施策を充実させることが強く求められてきたが、婦人自らの手による学習に力が入れられ、婦人団体の活性化、婦人大学の開設など、婦人問題解決に向けての学習活動は年々充実しつつある。
 ところで、人権問題の解決を目指して、国連では、昭和54年を「国際児童年」に、翌55年を「国際障害者年」に指定した。それぞれ社会的に弱者をよぎなくされている人々の人権を保障していこうとするものであり、本区においても、これをひとつの契機として、社会教育事業の中で具体的な対応が図られた。すなわち、「港区子どものつどい」の実施、「港区子ども会連合会」の結成や学級、講座などにおける手話通訳者の配置、障害者在宅学習資料『はばたき』の定期発行などであるが、それらは、それぞれ内容を充実させながら今日に至っている。
 また、これらのことと関連して、あらゆる差別の撤廃を目指す「人権尊重教育」の推進も50年代における社会教育の大きな課題となった。