昭和50年代におけるスポーツを一言で言えば、極めて大衆化がすすんだということにつきる。現代では、余暇の活用の一つの手段として、だれもが気軽にスポーツを楽しむ時代であり、スポーツのブーム現象に大衆化の一端を見ることができる。
東京オリンピック後のバレーボールに端を発し、ゴルフ・テニス・スキー・ジョギングなどを。また、スポーツウエアーは現代のファッションをリードするまでになっている。
それだけ、スポーツが生活の一部になっているということであるが、その中で人々がスポーツにかかわる姿勢の中に顕著な傾向が表われてきている。その一つは、スポーツを目的とする、いわばチャンピオンスポーツとしてではなく、社交の手段として、レクリエーションとして、健康増進の手段として親しむという考えが強くなっていることである。その傾向は大学における体育部の衰退とそれにかかわるスポーツクラブの激増に端的に表われている。
それとともに、一つの種目だけに固執するのではなく、多種目にわたって楽しむという傾向も次第に強くなった。またスポーツの大衆化をおしすすめてきた要因として、女性の参加、特に主婦の積極的参加を忘れてはならないところである。今日のスポーツブームの主要な要因はここにあったといっても過言ではなかろう。
本区においても、主婦層の参加は著しく、社会体育事業の主な対象を占めるまでになっているし、スポーツセンター利用者の大半は婦人である。そして更に、高齢社会を迎えて、高齢者の積極的なスポーツ参加がある。ゲートボールをはじめとして、ジョギング・民踊・ラジオ体操などなんらかの形でスポーツ活動に親しむ高齢者は格段に多くなってきた。
このような状況をつくりだす上で、おおいにあずかったのは、都内屈指の規模を誇るスポーツセンターの開館と社会体育課の設置であった[注釈25]。
事業の実施状況をスポーツセンター開館前後で比較してみると、スポーツ教室において昭和48年度9種目であったものが、49年度10種目、50年度11種目、51年度には16種目と増加している。
もっとも顕著なのは定期練習会であり、48年度7種目が49年度18種目、50年度19種目と急増している。