■社会体育事業の推移

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 区民のスポーツに対する欲求の多様化に対応して、事業が大幅に変わったのが昭和50年代の特徴である[注釈26]。その一端を見ると次のとおりである。
 スポーツ教室[図42] 従来スポーツ教室は種目別に実施されていたが、施策体系が定められたのを機会に、対象別にきめ細かく実施されることになった。そのため昭和54年からスポーツ教室として一括されていたものを、「スポーツ・レクリエーション教室」、「ファミリースポーツ教室」、「婦人スポーツ教室」、「こどもスポーツ教室」、「中高年スポーツ教室など」の名称に改められ、実施回数、種目数ともに格段に増加した。
 それとともに、競技大会も、こどもスポーツ大会、婦人スポーツ大会などとして独自性が強まるところとなった。
 夏休み学校プール開放 地域の子供たちのために昭和55年から8月に地区ごとで実施されることになった。当初は中学校1校、小学校5校であった。年度ごとに実施校を移してきたが、次第に年度実施校は増加し、59年度では9校が実施した。
 障害者スポーツの集い[図43] 国際障害者年の記念事業として、身障者の社会参加や交流を目的として昭和56年度から実施された。軽スポーツ、レクリエーションを行い、日常体を動かす機会の少ない身障者に大いによろこばれている。56年度の参加者は250名(うち身障者80名)であった。以降参加者は大体一定している。
 スポーツセンター区民無料公開日 日曜日のひとときを家族ぐるみでスポーツに親しむ機会として開館と同時に実施された。毎月2回ではあるが、指導者を各施設に配置し、平均して毎年3万人弱の参加者があり、スポーツに親しむ貴重な場となっている。
 指導者養成認定講習会 実技指導者の養成を目的として昭和57年度から[注釈27]実施された。認定者は社会体育実技指導員として各種スポーツ教室などにおいて活躍している。現在までに、バドミントン、バレーボール、卓球、サッカー、スポーツ少年団などにおいて各々30~40名が認定されている。
 地域スポーツ教室 地域連帯性の回復、青少年健全育成の見地から地域スポーツの振興をねらいとして、青少年対策各地区委員会との共催によって昭和59年度から実施された。同年度は、赤坂中学校と高陵中学校を会場としてバドミントンと硬式テニスが実施されたが両会場合わせて467名の地域住民が参加した。

[図42]子どもスポーツ教室〔サッカー〕


[図43]障害者スポーツの集い