■竹芝幼稚園の事例(平成元年閉園)
竹芝幼稚園は、竹芝小学校の併設園として昭和39年(1964)に開園した。地区の児童減少に伴い、竹芝小学校が芝小学校と統合することが決定された。平成元年(1989)4月、二つの小学校の統合に伴い、平成元年3月に竹芝幼稚園は閉園となった。
■桜田幼稚園・鞆絵幼稚園の事例(平成3年閉園)
桜田幼稚園は昭和36年(1961)に桜田小学校敷地内に、鞆絵(ともえ)幼稚園は昭和42年に鞆絵小学校敷地内に開園した。平成3年(1991)4月に桜田小学校、桜小学校、鞆絵小学校の3校が統合され、旧桜小学校校地に御成門小学校が開校することとなり、二つの幼稚園は平成3年3月に閉園となった。
■赤坂幼稚園・氷川幼稚園の事例(平成4年、5年閉園)
赤坂幼稚園は昭和45年(1970)に赤坂小学校敷地内に、氷川幼稚園は昭和43年に氷川小学校敷地内に開園した。平成3年(1991)、赤坂地区の年少人口の減少を踏まえ、氷川小学校、赤坂小学校、檜町(ひのきちょう)小学校の三つの小学校が統合されることが決定された。特に小規模であった赤坂小学校は平成4年4月に檜町小学校と統合された。それに伴い、併設園であった赤坂幼稚園は平成4年3月に閉園となった。氷川幼稚園は、氷川小学校の統合に併せて、翌年の平成5年3月に閉園した。
■西桜幼稚園の事例(平成8年閉園)
西桜幼稚園の歴史は古く、昭和6年(1931)に東京市西桜尋常小学校付属幼稚園として開園したのが始まりである。昭和43年には桜小学校の併設園として開園した。平成期に入ってからは園児数が定員に届かないことが続き、平成7年度(1995年度)は4歳児の募集をやめ、5歳児の2人の在籍を最後に、平成8年3月に閉園した。
■南海幼稚園・飯倉幼稚園・東町幼稚園・青葉幼稚園の事例(平成15年閉園)
南海幼稚園は昭和42年(1967)に南海小学校敷地内に、飯倉(いいぐら)幼稚園は昭和44年に飯倉小学校敷地内に、東町幼稚園は昭和42年に東町小学校敷地内に、青葉幼稚園は昭和40年に青山小学校敷地内に開園した。これらの園は、併設小学校の統合や、平成10年(1998)、「区立幼稚園の新しい配置計画の基本方針(案)」が決定したことを受け、「園児募集の特例の対象となる区立幼稚園」となった。
この基本方針に対しては、区議会への請願や陳情、説明会などを通じ、区民や関係者から多くの意見・要望が出された。区議会においては「『区立幼稚園配置計画(修正案)』における飯倉・南海・東町幼稚園の特例園扱いの見直しを要望する請願」が採択され、その意見を真摯(しんし)に受け止めながら、慎重に協議が重ねられた。そして、平成11年の園児募集の結果を踏まえ、四つの幼稚園は平成12年4月から13年4月にかけて休園となり、平成15年3月に閉園した。
■神明幼稚園の事例(平成15年閉園)
神明幼稚園は、昭和41年(1966)に神明小学校敷地内に開園した。平成13年(2001)の「区立幼稚園配置計画の見直しについて」に基づき、平成14年度の園児募集を行った結果、平成15年度の園児募集停止が決定された。平成15年4月より休園、同年8月末をもって閉園した。
■芝幼稚園・神応幼稚園・筓幼稚園の事例(平成19年閉園)
芝幼稚園は昭和43年(1968)に芝小学校敷地内に、神応(しんのう)幼稚園は昭和44年に神応小学校敷地内に、筓(こうがい)幼稚園は昭和39年に筓小学校敷地内に開園した。平成13年(2001)の「区立幼稚園配置計画の見直しについて」に基づき、平成16年度の園児募集を行った結果、三つの幼稚園の応募者が前年度に引き続き15人未満となったため、平成17年度の園児募集を停止した。その後、平成17年に休園となり、平成19年3月に閉園となった。
これにより、平成17年度から芝地域の区立幼稚園がなくなった。そのため、園児の安全と園児・保護者の負担軽減を考え、芝地域から赤羽幼稚園までの「幼稚園児通園バス」の運行が検討された。バスの運行は、平成17年から平成20年まで実施された。
[図4] 幼稚園の休園・閉園
出典:『港区の教育』各年度より作成
関連資料:【文書】教育行政 新橋・虎の門地区区立小学校・幼稚園の統廃合(平3)
関連資料:【文書】幼児教育 桜田幼稚園児募集停止
関連資料:【文書】教育行政 赤坂地区の学校教育の基本的方向づけ(平3)
関連資料:【文書】教育行政 赤坂小学校と檜町小学校の統合(平3)
関連資料:【文書】教育行政 氷川小学校と檜町小学校の統合(平4・5)
関連資料:【学校教育関連施設】