学校間交流

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■港区の学校間交流
 ●飯倉小学校と山形県舟形町立小学校の交流
 飯倉(いいぐら)小学校と舟形町の交流は、昭和47年(1972)に「都会の子どもたちに田舎での体験をさせたい」との考えから、翌年8月に舟形町立の各小学校との児童交歓会が開催される形でスタートした。昭和49年度には長沢小学校、50年度には富永小学校、58年度には舟形小学校との交流も始まり、40年以上にわたる交流となった。
 平成16年(2004)に飯倉小学校が統廃合され、学校間の交流は終了したが、地域の交流は続いている。平成20年1月の「商店街友好都市との交流に関する基本協定」によって東麻布商店街と舟形町、舟形町商工会との間に協定が結ばれ、夏に麻布地区サマースクールin舟形という児童同士の交流が行われた。平成25年に舟形町内の四つの小学校が統合(長沢小学校、富永小学校は閉校)されるまで、このサマースクールは継続された。現在も、平成26年に策定された特別区全国連携プロジェクト、平成28年に策定された「港区まち・ひと・しごと創生総合戦略」に基づき、港区内で山形県舟形町の魅力PRイベントを開催するなど、地域同士の交流は続いている。
 
 ●御田小学校と秋田県美郷町立千畑小学校の交流
 御田(みた)小学校と秋田県美郷町立千畑小学校(交流開始時は千屋小学校)は、昭和52年(1977)から現在まで40年以上にわたって交流を続けている。毎年7月および8月に、両校のそれぞれの児童が学校教職員やPTA、保護者とともに相手方を訪れ、ホームステイを行うものである。
 「昭和五十二年、自然に恵まれない都会の子どもたちに、自然のすばらしさを体験させることを目的に、御田小の児童十五名が千屋小学校を訪問したことから始まりました」(『交流20周年記念誌』平成8年発行 港区長菅谷眞一氏の言葉より)とある。
 
 ●高輪台小学校と沖縄県石垣市立石垣中学校の交流
 平成29年(2017)3月、高輪台小学校の校歌と、沖縄県石垣市立石垣中学校の校歌が酷似していることがわかり、ネット上でその情報が拡散された。
 高輪台小学校の校歌制定は昭和14年(1939)4月、作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰である。石垣中学校の校歌は、これより10年後の昭和24年6月に制定されている。歌詞、曲ともに似ていたため、高輪台小学校同窓会が石垣中学校に理由を問い合わせた。しかし、経緯は不明で、同窓会は「校歌を変えてほしい」と石垣中学校側に申し入れる強硬姿勢を取った。
 その後、調査を重ねた結果、高輪台小学校の昭和12年卒業記念アルバムに、石垣中学校校歌の作詞者と考えられる糸数用著氏の名前があった。糸数氏は、石垣中学校の初代校長であったため、かつて勤務した高輪台小学校の校歌を参考にして、石垣中学校の校歌を作詞したと推測された。

 

 このような経緯を経て、平成29年5月に石垣中学校の校長・宮良信浩氏から高輪台小学校の校長・篠原敦子氏に謝罪の書簡が届く。また、今後も校歌として歌い続けたいという内容が伝えられ、高輪台小学校同窓会総会でも理解を得て、両校ともに校歌を歌い継ぐこととなった。そして、今後は交流を図っていくことも決められた。
 校歌が縁となり、港区と沖縄の離島がつながった。図らずも交流が始まった事例である。
 
関連資料:【文書】小学校教育 御田小学校と千屋小学校の交流
関連資料:【文書】小学校教育 飯倉小学校山形交歓会
関連資料:【学校教育関連施設】