港区は、区域のほとんどが近世の世界的大都市「江戸」の街の上に築かれている。昭和57年(1982)に行われた「三田済海寺 長岡藩牧野家墓所」、昭和59年に行われた「郵政省飯倉分館構内(米沢藩上杉家下屋敷跡)」、同年から翌年にかけて区役所建設工事に先立って行われた「増上寺子院群」の発掘調査により、江戸時代の遺跡から文書記録にはない貴重な情報が得られることが明らかとなった。これらを契機に、遺跡調査の対象が原始から江戸時代まで拡大され、積極的に調査が行われるようになった。
発掘調査は、学術研究を目的として大学や研究機関によって実施される「学術調査」と、開発などをきっかけに行政によって緊急に行われる「行政調査」の2種類に大きく分けられる。区内で行われる発掘調査のほとんどは行政調査である。港区を含む都心部は、他の地域に比べて早い時期から開発が進められたことから、現在の地表面からは遺跡の存在を確認することが難しい。そのため、港区ではすでに遺跡地図に掲載されている遺跡だけではなく、開発面積が千平方メートルを超える場合は、これまで遺跡ではなかった場所においても事前に試掘調査を実施して遺跡の有無を確認し、確認された場合は発掘調査を実施している。開発を前提とした調査であるため、「現状保存」は難しく、「記録保存」のための調査となるが、その記録と出土品は保存され、展示や研究などに活用されている。さらに、江戸時代遺跡の調査によって、江戸時代より下の地層からこれまで知られていなかった原始・古代の遺跡が新たに発見されるなど、港区の歴史を知る上で貴重な情報が得られている。
平成11年(1999)の文化財保護法の改正により、開発工事に伴う届け出の受理やそれに対する指示などの権限も委譲され、埋蔵文化財保護に関しても区は重要な役割を担っている。