港区立港郷土資料館は、昭和57年(1982)4月に三田図書館4階と地下の一部合計約833平方メートルを使用して開設された。その後、収蔵する資料が増大し、貴重な資料を保存・活用する施設として極めて不十分な状態となってきた。このため、昭和62年3月に港区基本計画として新郷土資料館の建設が決定された。
文化財係では昭和62~63年に他区や周辺市部の郷土資料館などの現況調査を実施し、平成元年(1989)には学識経験者や郷土史家および区職員からなる「港区立新郷土資料館建設懇談会」を設置し、新郷土資料館の性格や機能・規模・内容を検討するとともに、平成2年には全国の公立博物館の中から35館を選び、各館の実態調査を行った。平成3年3月には「『港区立新郷土資料館建設懇談会』意見について(報告)」がまとめられ、これを基本として新郷土資料館の建設計画を進めることとなった。平成9年3月には「港区新郷土資料館基本構想」、平成17年9月には「港区新郷土資料館第2次基本構想─港区ミュージアムの開設に向けて─」が検討委員会によってまとめられた。また、平成17年には館蔵資料の評価を適正かつ円滑に行うため、学識経験者による港区郷土歴史館資料評価委員会を新設し、新郷土資料館建設へ向けて準備を進めた。
新郷土資料館建設に関して、計画当初から挙げられていたのは建設場所の問題であった。しかし、平成23年1月、白金台4丁目に所在する旧公衆衛生院(昭和13年竣工)の建物を保存しながら活用する方針のもと、新郷土資料館を含めた複合施設を整備することが決定された。平成23年3月、旧国立保健医療科学院整備活用検討委員会を設置し、本格的な計画が推進された。
平成24年4月には「港区立新郷土資料館開設準備委員会設置要綱」を制定し、これに基づき準備委員会が設置された。さらに同4月、「新郷土資料館整備担当」を新設し、平成25年8月に「港区立新郷土資料館展示等総合計画」が、平成26年12月には「港区立新郷土資料館等複合施設整備基本設計」、平成28年9月には「展示実施設計」が策定され、開館へ向けての作業が開始された。
平成30年10月31日に港郷土資料館が閉館となり、同年11月1日、最初の基本計画決定から30年余りを経て、港区の新資料館「港区立郷土歴史館」が活動を開始した。郷土歴史館を含む複合施設の愛称は「ゆかしの杜(もり)」に決定した。
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