〔第2節 人口・児童数・学校数の移り変わり〕

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次に、人口変動と関係づけながら、児童数および学校数がどのように変遷したのかを見ていきたい(以下[図1―4]参照。明治維新により武家地が荒廃し、人口が大幅に減少するものの、明治後期から始まる産業革命・工業化により、芝区域を中心に人口流入が顕著になった。大正11年(1922)には、港区域における過去最多人口の37万6千人となった。その後、戦災による壊滅的な被害を受け、昭和20年(1945)には10万人を切って人口最少を記録した。その後の経済成長によって昭和35年に戦後最高の26万6757人に達するが、経済成長・都市化がさらに進むと、ドーナツ化現象が発生して人口は減少の一途をたどった。平成8年(1996)に14万9716人にまで落ち込んだ人口は、21世紀に入ると湾岸地域や旧市街地の再開発によって、近年の人口は25万人を超えるまでに回復している。
このような人口推移は、児童数や学校数の増減と対応関係を示す。そこで、地域社会の変容が学校の新設・統廃合とどのように連動しているのかを見ていきたい。


[図1-4] 港区域の人口推移

産業革命の進展とともに人口が増加した後、関東大震災以降は停滞している。
出典:『港区教育史』資料編第2章第1節p.192より作成(戦後の芝・麻布・赤坂は支所別人口。高輪支所、芝浦港南支所の人口は芝に合算)

関連資料:【通史編1巻】序章1節2項 人口の移り変わり
関連資料:【図表及び統計】港区地域の人口