この章では、江戸時代までの教育との関連や相違点に注目しながら、港区域における近代教育の幕開けについて理解を深めたい。江戸時代に起源を持つさまざまな学びの場について、特に、手習いの伝授を主旨とする江戸時代以来の学びの場(寺子屋)と、明治時代になって国や東京府などの行政の呼びかけや定められた制度に応じて設けられた学びの場(近代学校)について、詳しく紹介したい。
日本における近代教育は、明治5年(1872)の「学制」をきっかけとして全国的に一斉に展開された。しかしながら、明治政府立ち上げからの数年間において、具体的な施策が何もなかったわけではない。新しい時代の幕開けに当たって、全国各地の意志ある人々は、これまでとは違った新しい時代に向けた学校教育を模索していた。それは維新政府に携わるリーダーが主導したものもあれば、集落の名主や地主、町の年寄や商家といった地域に根差したリーダーが主導したものもある。港区域では、全国的に言ってもかなり早い時期より近代学校の設置が始まったことが知られている。そして「学制」を経て港区域に次々と設立されていった近代学校は、それ以前の学びの場とどのような違いがあるのか、また江戸時代以来の学びの場は、近代学校が設けられる中でどのような対応をしていったのか。子どもたちが学んだ教育内容にも触れながら、紹介していきたい。