江戸時代の日本は、同時代の他の国々と比べても識字率(字の読み書きができる人の割合)が高かった。統治者である士身分の者は城下町に住んでいたために、村落などとの行政的なやりとりは、基本として文書を通してなされた。これを文書統治という。また、経済や流通の発達とともに庶民の間で貨幣、商品や文書の交換が活性化していった。その中で、読み書き算という学力を必要とする人々が増えていった。もとより江戸時代の日本は、幕府の直轄地の他、大小約300の藩、諸々の旗本領などに細かく分割されて、異なる制度で統治されていた。また城下町、宿場町、門前町、米作を主とする村落、商品作物を主とする村落、漁村など、住む場所やそこでの立場によって人々の生活様式は大きく異なっていた。そのため、細かく見ていくと識字率には大きな格差があった(1)。しかし、世界的な大都市であり、統治と流通、消費の中心であった江戸については、かなりの割合の人々が読み書き算を習得していた。