本章では、幕末から学制期に至るまでの港区域の学びの場の変遷について、寺子屋、郷学(ごうがく)、小学校を主として紹介してきた。港区域では、他の江戸諸地域と同様に町人地と武家地で寺子屋の設置状況や扱われる内容が異なっていた。設けられた場所のニーズが反映されていたものといえる。維新期になると、新政府の動きに同調するような郷学としての学舎の設置、府主導の仮小学の設置などが立て続けになされた。地域においてリーダーシップを取る人々が中心となって、私益や身分を超えたところにある教育の必要性を捉えたものといえる。そして「学制」を経て、これらの学舎は公立小学校に引き継がれていった。他方で住民のニーズに応えていた寺子屋も、師匠が師範学校の講習を受けて教則を整えることにより、多くが私立小学校としての設立を認められた。他の府県とは異なり、運営や成り立ちが異なる小学校が混在していたのが東京、そして港区域の特徴となっていた。港区域の人々のくらしに直結する近代教育のはじまりは、近世までの教育を引き継ぎながら新しい教育も加えられていくという、複数のラインが並行する豊かな様相であり、また漸進的な変化であった。
注
(1) リチャード・ルビンジャー(川村肇訳) 2008『日本人のリテラシー―1600~1900年』柏書房
(2) 関山邦宏 1996 「江戸・東京の寺子屋・家塾・私立小学校」『幕末維新期における「学校」の組織化』多賀出版
(3) 石山秀和 2015 『近世手習塾の地域社会史』岩田書院
(4) 関山、前掲論文
(5) 大日本教育会編 1892 『維新前東京市私立小学校教育法及維持法取調書』大日本教育会事務所 pp.2-3
(6) 藤田薫 2001 「寺子屋から代用私立学校へ―東京市赤坂区丹後町尋常小学校を事例として」『研究紀要』6 港区立港郷土資料館
(7) 『港区教育史』第1章では、これらの郷学に類する学校を「区学校」、「幼童学所」と呼んでいる。
(8) 同前、pp. 56 - 57
(9) 同前、p.100
(10) 私立小学校につながっていった事例もある。培其根は私立培根小学校に、竜海堂が私立竹芝小学校に、幼学所が私立共栄小学校になった(『港区教育史』第1章、p. 61)。
(11) 上垣渉 1999 「「和算」と「洋算」の語義に関する史的考証」『三重大学教育学部研究紀要 教育科学』50
(12) 小木新造 1980 『東亰時代―江戸と東京の間で』NHKブックス、pp. 179 - 181
(13) 関山、前掲論文
(14) 藤田、前掲論文