公立小学校と私立小学校

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法令上で、保護者が子を就学させるべき場、子どもが就学となる形態は一つではなかった。
明治23年「小学校令」第22条 学齢児童ヲ保護スヘキ者ハ、其学齢児童ヲ市町村立小学校又ハ之ニ代用スル私立小学校ニ出席セシムヘシ。若シ家庭又ハ其他ニ於テ尋常小学校ノ教科ヲ修メシメントスルトキハ、其市町村長ノ許可ヲ受クヘシ。
明治33年「小学校令」第36条 学齢児童保護者ハ、就学セシムヘキ児童ヲ市町村立尋常小学校又ハ之ニ代用スル私立小学校ニ入学セシムヘシ。但シ市町村長ノ認可ヲ受ケ家庭又ハ其ノ他ニ於テ尋常小学校ノ教科ヲ修メシムルコトヲ得。
明治23年(1890)の「小学校令」以後、保護者が子を出席・入学させる先は原則として市町村立小学校またはこれに代用する私立小学校(5)とされた。すなわち就学義務は公立小学校に出席・入学させる義務となり、就学制度上、私立小学校はせいぜいその「代用」までの扱いとなった。
代用小学校でない私立小学校への出席・入学は就学制度上どのように扱われたのだろうか。これを明確にしたと思われるのが、明治32年8月に施行された「私立学校令」である。そこでは、保護者の就学義務が終了していない学齢児童が代用小学校でない私立学校に入学する場合には、保護者が市長から、先に引用した明治23年「小学校令」第22条にもとづいて「家庭又ハ其他」における就学の許可を得なければならないことが明記された。もちろんその場合には「就学」扱いとなった。
すなわち、保護者の選択による例外という形を取ることで、代用小学校でない私立小学校への入学を、就学制度上の「就学」に位置づけたのである。もともと、家庭における就学の制度は、明治15年の文部省の担当者による説明では、「父母後見人等」に「修身ノ教育」その他の望みがあって、自ら教授することや他に師を選ぶことを欲する場合を念頭に置いたものだったが(6)、その趣旨を越えて制度が活用されたものと思われる。
関連資料:【通史編1巻】序章3節2項 (1)公立小学校の設立とその移り変わり
関連資料:【通史編3巻】2章概節2項 「小学校令」の改正
関連資料:【通史編3巻】2章概節3項 私立小学校の状況
関連資料:【通史編3巻】2章1節1項 学校設立・拡充への努力