当時の私立小学校は、公立小学校に比べて、設備などが整わない一方で授業料が安い傾向があったが、その社会的な意義は特に東京では大きかった。下谷区周辺を舞台にしたと思われる樋口一葉の「たけくらべ」は、私立小学校と公立小学校の対比を取り上げて、私立小学校に対する住民の支持、家庭による子どもの就学先の違い、公立小学校への対抗意識、さらに庶民文化と学校文化の関係などを描いている。
学校の唱歌にもぎつちよんちよんと拍子を取りて、運動会に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるゝ入谷ぢかくに育英(いくえい)舎とて、私立なれども生徒の数は千人近く、狭き校舎に目白押の窮屈さも教師が人望いよ〳〵あらはれて、唯学校と一ト口にて此あたりには呑込みのつくほど成るがあり、通ふ小供の数々に或は火消鳶人足、おとつさんは刎橋(はねばし)の番屋に居るよと習はずして知る其道のかしこさ(樋口一葉「たけくらべ」『文学界』第25号、明治28年)
我れは私立の学校へ通ひしを、先は公立なりとて同じ唱歌も本家のやうな顔をしおる(同)