明治33年8月21日「小学校令施行規則」第81条に、学齢簿に登載の児童が「居所一箇年以上分明ナラサルトキ」は「遅滞ナク之ヲ抹消スヘシ」と定められた。すなわち、1年以上居所不明となった子どもは、学齢簿から抹消され、就学統計上に表れないこととなる。
さらに、明治35年3月頃、1年未満居所不明の子どもの扱いを巡って問い合わせに回答した内容について、文部省から東京府に通牒(つうちょう)があった(19)。そこでは、「学齢児童中一箇年未満居所分明ナラサル者」について、統計上、学齢児童総数に含めるとする。また、そのうち就学の始期に達している者で、就学していない者、年度内に全く出席していない者は、「不就学ノ部猶予ノ欄」に、適宜の符号を付して「猶予」者と区別して掲載するようにいう。実際、各年度分の東京府学事年報を見ると、明治34年度分および36年度分以降で、×印又は△印(以下×印等という)を付した数値が「猶予」欄の横に記載されており、本来の「不就学」の合計値とは別に計算されている[図3―5]。また、この値の扱いについて検証してみると、就学率の除数(分母)である学齢児童数には、明治34年度分では含まれていないが明治36年度分以降では含まれるようになり、就学率の(「就学」側の)被除数(分子)には、いずれも含まれていないことがわかる。
これらを踏まえて、就学していない子どもと年度内に全く出席がない子どもについて、その扱いを考えてみたい。この子どもが居所不明の場合には、不明が1年未満の間は×印等に計上し、1年以上になると学齢簿から抹消して×印等にも計上せず学齢児童数にも含めない、ということになる。では子どもの居所が知れている場合はどうか。統計表は、保護者の義務の猶予・免除の手続きを経ていない子どもを本来の「不就学」に計上できない構成になっている。ではこの場合も×印等に計上するのか。そこは曖昧なままである。
居所不明者に関わる運用実態を検証することは難しい。ただ明治43年に文部省普通学務局長の村松茂助が講演で以下のように述べている。