同小学校には、筒袖の綿服、着袴(ちゃっこ)、着帽などの規定があったが、従わない家庭もあったようである。次の呼びかけからは、厳しい対処を警告してまで服装規定を守らせようとした様子が伝わってくる。
児童の衣服は、家庭心得にも載せて置きました通り、男女とも三大節と卒業式との外は、洋服又は筒袖の綿服に、袴(はかま)を着けさすることになつて居ります、然るに、先達の父兄会に、長袖の着物を着けさせた方が二三ありまして、誠に困り入ります。学校の方では、御家庭の御心はよく酌んで居りますが、これを其儘(まま)にして置いては、他の家庭の真率(まじめ)に学校の規定通りになさるゝ御方に迷惑を及ぼすことであり、また、教師の命令(いひつけ)が行はれぬ基になりまするが故に、今後、運動会や校外教授や父兄会の際などに、定(きま)りに外づれた服装(なり)をして来たものは門前より逐(お)い還へすと、先日主事より児童一同に厳達いたしました、それ故、御家庭でもその御積りで、出来るだけ平常の服装で登校させる様に御心懸け下さる様に願ひます。(『学校家庭通信』第7号、明治36年)
同様に、神応(しんのう)小学校も、「服装は、質素で運動及作業に便利な物にして下さい、髪飾は用ひず、常に清潔を保ち、華美に流れぬ様是れ亦(また)御注意願ひます」と保護者に呼びかけ、毎週月曜と木曜に「服装検閲」を行って服装ルールを徹底した(神応小学校『学校家庭通信』第5号、大正15年)。青山師範附属小学校では、服装方針をもとに、明治36年頃に男子の洋装標準服が定められ、大正8年頃に女子の洋装標準服が定められた(4)。
[図4-7] 明治36年制定の男子児童の服装標準
出典:東京府師範学校附属小学校『家庭学校通信』第7号、明治36年10月