生活改善運動で子どもの洋服着用が主張される流れを受け、大正後期から昭和初期に、通学服は本格的に洋服へと転換する(5)。桜川小学校の元教員は、「本校に赴任したのは、大正六年四月一日でありますが(中略)、児童数は千有余名で、服装は全部和服でありました。大正十二年三月、創立五十周年の記念祝賀会が行われたが、此の時の児童数は一四七〇、学級数二四、職員数二八、此の頃の児童の服装は半数が洋服になっていました」と述べている(桜川小学校『桜川百年』)。各校に残された写真からは、関東大震災頃を境に洋服の子どもが増え、昭和10年(1935)頃には、ほとんどが洋服となる様子が確認できる[図4―14]。