関東大震災では低地の下町に火災が広がった関係で、港区域では芝区域北部に被害が集中した。芝区の8校(東京市直営の芝浦小を含めると9校)が全焼し、焼失した学級数は161、罹災(りさい)児童数8430人と甚大な被害とな
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た(9)。芝区の低地部を除くと、港区域では火災はさほど広がらなかったが、残存地域の教職員は、罹災者収容などの救護活動の他、多くの活動に従事したため、教育活動は停止することになった。奇跡的に焼失を免れ、避難者収容所となった芝小学校の報告書には、次のような記録が残っている。
九月一日未曽有の変災に際し不思議にも震火の禍を免れた芝小学校は今は避け難かりし災厄に苦しむ人達の為に人と建物とが全能力を発揮すべき時に遭遇した。
二日の朝当時の宿直勤務職員と真先に駈け付けた福本主席とが協議して非常処置として他に先んじて校舎を避難者の為に開いた。打寄する人波は流れ込んで忽中に校舎の内部は人と荷物で足の踏場もなきまでになつた。(原文は片仮名)
(「芝尋常小学校避難者収容所報告書」東京都公文書館編『都史資料集成第6巻別冊付録』2005年、267ページ)
教職員が従事した活動としては、炊き出し、配給、調査、警備、衛生など広範囲にわたり、校舎や体育館などの学校施設は、罹災者収容の他に、診療所や役所の事務所、軍隊の駐屯所、児童相談所などにも利用された(10)。震災直後の救護活動がひと段落すると、残存校は消毒や校地整理を経て授業を再開した。一方の焼失校は、木造による仮校舎を経て、RC造の本校舎の建設へと続いた。
関連資料:【通史編1巻】序章3節3項 教育施設の改善
関連資料:【通史編4巻】3章2節1項 (1)学校の被害
関連資料:【通史編4巻】3章2節1項 罹災者の救助 (2)罹災者の収容