本章では、学校建築を子どもの生活・教育環境としてとらえて、その歴史的変化を見てきた。そこから明らかになったことは、各時代における教育思潮や社会的ニーズに応じて、少しずつその形を変化させてきた学校の姿であった。学校建築は明治時代から100年以上変わらず、画一的であるという見方がある。しかし、一校一校の歴史を紐解いていくと、そこにはさまざまなドラマがあり、時代に応じた姿を見せてきた。
明治時代には、近代学校教育を実現するための洋風校舎の建設に始まり、粗末で劣悪な環境の改善、児童数の増加に対応するための量的拡充と、学校建築の課題は変遷した。大正時代には、新教育運動の影響もあり、特別教室や学校園など設備面での充実化が見られたが、戦時色が濃くなると学校建築改善の動きは停滞した。戦後初期は再び学校建築の量的拡充が求められたものの、それが落ち着いて以降は、多様な教育方法に対応する設備の改善・充実化が進められ現在に至っている。
学校建築の歴史を見る上で特に重要な時期は、震災後および戦災後であった。関東大震災とアジア・太平洋戦争は、子どもの生活・教育環境である学校建築を根底から破壊するものであった。港区が経験した二度の災厄からの復興は、行政および地域住民の学校教育に対する情熱と多大な尽力なしには成し遂げられなかっただろう。そして、それは単なる学校の復旧にとどまらず、震災後は大正新教育の、戦災後は戦後新学制の教育を実現しようとする強い願いが込められていた。
現在当たり前に存在する学校建築の姿は、このような歴史的な積み重なりの上に築かれてきたものである。どの時代においても、学校建築は各時代の社会的要請に応えようとして造られてきたが、忘れてはならないのは、学校は子どもの学びの場であり生活の場であるということである。社会から要求されたものを一方的に受け入れるのではなく、子どもの教育にとってどのような環境が望ましいかという教育学的考察が欠かせない。いかに時代は変遷しても、その視点は不変のものとして共有されるべきだろう。