〔(1) 栄養研究と学校給食〕

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大正3年(1914)、芝区白金三光町に、栄養研究を事業とする私立栄養研究所が設立される(2)。創設者の佐伯矩(さいきただす)は、医学から栄養問題へと研究を進め、世界で初めて「栄養学」を提唱した医学博士である。佐伯の卓抜した点は、「栄養学の確立」ももちろんだが、実践による「食生活の改革」を目指したところにある。米の研究と並んで「日本人一人一日の保健食」の献立を立案したり、栄養飲料を開発・販売するなど、「栄養改善」の実践に邁進(まいしん)した。栄養を強化してバランスよく配合した「栄養パン」の開発も、その一つであった。[図6―3]は、バター、牛乳、卵、糠(ぬか)エキス、カルシウム、リン、鉄を強化し、消化吸収をよくした「栄養パン」で、「全功(ぜんこう)パン」と名づけられたものである。佐伯は、栄養パンを研究所の付属工場で製造し、公設市場で販売した。これが小学校の学校給食に結びついていく。
学校給食は、明治期にも、貧困家庭の児童に対する救済として、散発的に行われた。それに対し、佐伯は、「学校給食の本質を発育期学童の栄養と、社会の食生活改善を目的とし、確立せねばならない」と説いた。学校給食を、慈善や救済の手段ではなく、栄養問題改善策として位置づけ直したのである。そして、給食には、栄養パンが最も合理的だと考えた。パンは、栄養素を強化でき、学校に給食設備がなくとも製造工場から運搬しやすいからである(佐伯「学校栄養給食の濫觴(らんしょう)」)。
大正8年、佐伯の主張に東京府知事が賛同し、東京市直営小学校で栄養パンによる学校給食が行われた。この試みは短期間に終わったが、日本初のパンによる学校給食であり、その後の試金石となる実践だった。


[図6-3] 復元された全功パン

学校給食に取り入れられた栄養パンは、今見てもおいしそうで、栄養も豊富である。
佐伯栄養専門学校提供