大里児童育成会

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昭和8年(1933)、麻布区一本松町の大里兵蔵の寄付により、大里児童育成会が設立される。「東京一市内に尚ほ約一万五千人の欠食児童」がいること、「優良児童にして進んで修業の機会を得ざる者」も相当数いることから、「国家社会に於ける最大急務」として、小学校児童の「育成事業」を目的とした財団である(大里児童育成会編『財団法人大里児童育成会一覧』)。
主な事業内容は、欠食児童への給食支給と貧困児童への学費補給であった。同年11月に開始された給食は、東京市教育局の欠食児童調査結果をもとに行われ、麻布区の要援助児童185人も含まれた。その後、昭和11年度には、麻布・南山・東町小学校など7校の延べ3万6983人に支給している。理事長の武藤山治が鐘紡の経営者だったため、給食は鐘紡東京本店炊事部が調理し、都下随一といわれた。また、学費補給事業は、尋常小学校卒業後の実務学校進学を援助した。貧困児童の援助は、給食と修学支援がセットになっていたのである。
関連資料:【通史編5巻】4章1節4項 私設団体による学校給食状況