白金小学校の新しい教育方針

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『校報』から『しろかね』に改められた第5号の巻頭に、牧口校長は「学校の共同生活」と題する文章を寄せた。
 本号からは児童教育の助けにしたいと思うて記事の内容や、体裁を一変しました。それは児童の組織して居る団体を意識させ、学校に於ける児童の生活によつて、共同生活の方法を指導しようとするのに外ありません。
 お友達から『あなたと一緒に遊ばないよ』といはれて、一人ぼつちにされた時の心持ちはどんなでせう。人は仲間外れになつたほど、つらいことはありますまい。これは大人でも同じことで、人間の仲間入りをして居ればこそ、初めて安心して生活(くら)して行けるのであります。(中略)
 学校は即ち共同生活の練習場で、大人になつて国民として立派なる生活をなすことの出来る様に稽古する所であると思うて吾々は尽さねばなりません。
校報の大幅な刷新は児童の教育に役立てるために行うこと、さらに学校では、児童が共同生活の方法を学ぶべきことが強調されている。子どもにとって共同生活が重要なのは、生活そのものが学習の過程だからである。牧口校長は翌年発行の第6号で、生活そのものの重要性について主張している。
 小供(ママ)等が営む日常の生活によつて、彼等の教育をなすのが本当で、大人になつた後に役に立つ様に、生活の準備のために教育するのは間違つた考である。といふのが、学校革新上に於ける近頃の思潮といはれて居る。
「学校革新上に於ける近頃の思潮」は明らかに新教育の考え方を意識している。従来の教育は、子どもが大人になるための「仕度をさせる」ことを目的としており、そのために子どもが「何の面白味もない事柄を、唯だ訳もわからずに教はつて」いたのは「迷惑千万」で、「まるで大人のお附合ひをして居る様なもの」だと批判する。大人になる仕度をするのが教育だと考えることで、大人になったときに必要そうな知識をたくさん持っていることが「偉い小供」だということになって、そこから「詰め込み主義の教育」が生じるとの見立てを示す。
このような詰め込み教育は、「不消化の食物を喰べ溜めさせ様とするのと」同じことで、本来は子どもが子ども自身の力で「理解し消化して、夫々(それぞれ)片付けて行くことの出来る」「小供の生活に相応じた事柄を授けること」が重要だと牧口は主張する。子ども自身の力で消化できる、生活に応じたことがらを授けることとは、最終的には「小供の日常生活の経験その物が、直ちにそつくり教育であるといふ風に仕向けて」いくことである。
つまり、牧口が生活の重要性を主張したのは、子どもたちの日常生活での経験がそのまま教育となる、すなわち子どもたちは日常生活の経験から学ぶという考えからであった。これは「子ども期には固有の意義があり、大人はその意義を最大限尊重する」新教育の基本的な理念と軌を一にしており、「生活教育」と呼ばれる実践に近い考え方だといえる。
ただし牧口自身は、新教育の考え方は決して新しいものではないという主張も持っていた。白金小学校の教育方針をまとめた、『全体的立場より見たる我が校の生活教育』という冊子が残されている。これは、牧口校長就任後に、明らかに新教育の影響を受けて編集されたものと考えられる。この中では「我々は目を閉ぢてスパルタやアテネに存したあの教育を思起さずとも、僅々百年に足らぬ彼の松下村塾の教育を考へても、今新しく、労作教育、体験教育、生活教育等々と叫ばねばならぬ事に対する疑問を持つものである」と述べられている。
白金小学校における校長の交代と、それに伴う教育方針の変化の様子を見てきた。白金小学校の変化は、明らかに新教育的な教育理念を教育方針に据えるという変化であった。子どもが学校の主役であるという理念は、『校報』という雑誌上のこととはいえ実践に移された。また学校日誌の記述には、それまでになかった子どもの細々とした記述が見られるようになる。詳しくは触れられないが、例えば、子どもが足をくじいて病院へ行ったこと、子ども同士がけんかをしてけがをしたことなどである。こうした子どもへの目配りは、それまでの優秀な成績を挙げた子どもへの目配りとは次元の違う、すべての子どもたちへの注目だと言うことができる。


[図7-7] 牧口常三郎校長と子どもたち

前列中央、ネクタイを締めているのが牧口校長。子どもたちの表情には笑顔も見られる。
出典:白金小学校『写真帖』大正13年