新教育と距離を置く小学校

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麻布小学校では大正13年に校長が交代し、学校雑誌『あざぶ小学』15号に新任のあいさつを寄せている。
 自由教育とか自動主義の教育とか云(い)ふて、学年の程度に応じて、児童に自ら研究させる教育法は言ふまでもなく大切のことでありますが、之(これ)を実施いたします為には、相当の設備殊に児童に適応せる、多数の参考用書を必要と致しますから、当局並に保護者の方の、御援助を得まして、其の目的を達したいと存じます。
「児童に自ら研究させる教育法」は青南小学校の自習時間に近いものを感じさせる。ただしまずは、そのための参考書が必要、つまり参考書が整うまではできない、というスタンスにも読み取られる。この号は、口絵に皇太子(後の昭和天皇)の結婚を記念した写真や祝辞が載せられた号で、権威主義的な考えも感じられる。
神応(しんのう)小学校は大正15年の『学校家庭通信』第5号で「本校の教育」と題して学校の教育方針を示している。「本校は教授上の方針として、児童の実力養成を主眼としてゐます」。そのために「教授は須らく反復練習に重きを置き、教授事項を確実に児童の所有ならしめ、児童をして出来るだけ自ら働かしめ、自ら考へしめ、且つ一度学習したる智識技能はあらゆる機会に於(おい)て之を発表せしめ、児童の脳裡(のうり)に印象せしめ、其の応用自在ならしめんことを力(つと)めて居ります」。
「自ら働かしめ、自ら考へしめ」というところに、青南小や麻中小の「自習時間」「自学自習」に通じる新教育の影響が、わずかながらも認められる。しかし全体的には、大正8年の白金小学校が示した、子どもが習得した知識を自在に応用できるようにする、という考えとほとんど異ならない。
新教育の理念は、港区域の小学校にも確実に影響を与えた。ただ、新教育の理念を解釈して独自の実践を行うか、新教育の理念は理解しながらも従来の実践を継続するか、学校による取り組み方には違いがあった。