南山幼稚園は、昭和9年(1934)4月1日に設置認可され、翌2日の入園式から本格的に教育活動を開始した。園長は南山小学校長が兼務、保姆(ほぼ)3人で組数3組(梅組、桃組、桜組)、その他用務員2人、園医1人という体制だった。もともと麻布区宮村町47番地にあった東京市麻布幼稚園の独立園舎を廃棄して、宮村町67番地の南山小学校内に南山幼稚園、また飯倉片町の麻布尋常小学校内に麻布幼稚園の2園に分離する形で開園した。4月2日の入園式は、新入園児75人と旧麻布幼稚園からの在園児20人の総勢95人のうち欠席者8人を除く87人で挙行された。その後、昭和18年度までの園児数推移は、[図8―2]の通りである。なお、後でも触れるように、昭和19年度は4月早々に休園となるため、在籍園児に関する記録はない。
南山幼稚園には、創立当初の昭和9年からの園日誌が保管されている。時代背景としては昭和6年に満州事変が起こり、翌年満州国建国、昭和7年に五・一五事件、昭和8年に日本が国際連盟脱退、昭和11年に二・二六事件、昭和12年に盧溝橋事件と、軍部の勢力が増し、日中戦争へと突き進んでいく時期である。そうした戦時体制が整えられている時期の園日誌から見えてくる、園児と幼稚園の様子を紹介したい。