南山幼稚園の園日誌からは、時代は違っても子どもたちの生き生きした姿、元気あふれる活発な様子が見えてくる。設立初年度の昭和9年(1934)の記録からいくつか抜粋してみよう。
「今日よりすべり台砂場を用ひる。非常に満員で大喜びであった」(昭和9年4月9日)
「非常にのんびりと保育が出来る様になったと思った。幼児は月曜からの食事をたのしみにして居る」(同年4月14日)
「午後梅組桃組とで聯合(れんごう)運動会に出る。日の丸行進を練習する。初めて日の丸の旗と聯隊旗をもって幼児達うれしさうであった」(10月25日)
「本日終業式(中略)男児に凧、女児に羽子板を母の会より与へた。皆々嬉々として帰園する」(12月24日)
これらの記録からは、子どもたちの輝く笑顔、元気いっぱいに動き回っている光景が思い浮かぶ。昭和17年の端午の節句(5月5日)でも「園長先生から日吉丸のおはなしを伺う。おいしい〳〵お菓子(ワッフル)を一つづつ(ママ)いたゞいて大よろこび」と記録されている[図8―3]。しかし、描かれていたのはこうした日常の明るい様子だけではなかった。園日誌には、戦時を意識させる場面が多く記録されている。
[図8-3] 端午の節句 記念写真
出典:南山幼稚園『保育修了記念写真帖』第9回、昭和18年3月