〔(1) 戦後の南山幼稚園〕

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戦後の南山幼稚園は、昭和21年(1946)5月8日から再開された。同日は入園式が行われているが、式次第には「君が代斉唱」がない。「園長先生のお話」はあったようだが、話した内容の記録はない。
日々の記録も、最初はどこか気の抜けたというか、戦前のような緊迫感は伝わってこない。例えば5月18日の記録には「朝曇りなので、お庭で遊ぶ。出来る子供のみスキップをする。鳩ぽっぽの遊戯をして折紙をなしおみやげにして帰る」と簡素な記録になっている。
6月8日は「大きな積木を出す。亀甲積木を出し皆大よろこび」、ところが「午前十時より十一時の間に二階準備室のA、B(苗字が入る)の手提カバンその他持物全部なくなる。廻転窓より入った形跡あり。麻布警察より刑事来て検(しら)べる」という物騒な記録も残っている。戦後の混乱した時期に、こうした窃盗事件は多かったのではないか。
しかし、徐々に日々の記録も充実してくる。昭和21年12月20日「鉄棒の回転を一人づつ(ママ)する。体の非常にかたい子供のあるのに驚く。風がつめたいので、今日はお弁当を遊戯室にござをひ(ママ)いて二組一緒に少しせまくてかわいそうであったが、それでも喜んで事故なくいただく。お湯は小使いさん(ママ)にもって来ていただく事にきめる」
もはや皇室や神道に関係する行事はない。新しい時代の幼児教育を少しずつ見いだしていったようだった。戦後に保育内容が変化していく過程で注目すべきことは、南山幼稚園に東洋英和幼稚園の功刀(くぬぎ)嘉子(よしこ)が訪れて講演をしていることである。昭和22年2月22日の訪問の他、昭和23年9月10日の園日誌欄外にも「功刀先生のお話を伺えて本当によかった」と書き記されている。戦後功刀は昭和22年9月に文部省へ転じ、教育民主改革の実現に尽力しており、南山幼稚園も戦後教育の立て直しのために、功刀から多くを学んでいたのであった。
その他、戦後の南山幼稚園の特徴としては、カリキュラム研究、NHK出演、リズム遊び、日曜生活発表が挙げられる。戦後の新しい時代に適合する教育内容の研究開発が盛んになっていた点と同時に、メディアにも積極的に関わっていた様子が史料からわかる[図8―7]。
関連資料:【通史編6巻】5章4節1項 再開の状況