戦後民主化政策に乗って、戦後の東洋英和幼稚園ではキリスト教を土台とした個性を大事にした教育活動の展開が見られる。
昭和21年(1946)6月21日に幼稚園は再開された。戦時中「東洋永和女学院」と変更していた校名は、同年9月に「東洋英和女学院」へと戻された(7)。再開されたとき保母を務めた宮崎千恵子は、「園長功刀(くぬぎ)先生のもとに私一人保母、そして、師範科実習生三名、二十六名の園児が集まりました。疎開していた子ども達も次第に帰京して平和な時代になりました(8)」と回想している。
功刀が文部省に転任後は、再び来日した宣教師たちが教育を担うことになっていく。