芝浦小学校については、昭和25年6月20日の後援会総会でPTAへの「切替え」が協議されて「PTA準備委員会」が設けられた。芝浦小学校のPTAは昭和25年中には設立されたようである(14)。
昭和26年7月の実行委員会に提案された昭和26年度予算案(15)の科目を見ると、児童に給与する学用品に充てる「児童給与品費」がある他、額が多いのは「備品費」(教具、理科戸棚、図書戸棚など)、「設備費」(窓掛、楽器、鉄棒、砂場など)、「体育費」(運動会費、競技会費、夏季プール、運動具など)、「消耗品費」(更紙、原紙、インクなど)であり、保護者と教師が参加する行事などは想定されていない。この時点では、従来の後援会とほぼ変わらない活動内容を考えていたと見てよいだろう(16)。
なお、PTA発足以前のことであるが、戦災で全焼した校舎の復興工事着工が決まった後の昭和21年12月に、芝浦国民学校後援会が「復興資金」の募集を行っている(17)。いわゆる奉加帳が残っており、個人名の他、陸運・海運業、倉庫業などの企業名が見られる(18)。芝浦小学校の地域特性に応じた資金調達を行っていたといえるだろう。