昭和42年度は「ともえPTAの実行委員会においてもPTAのあり方について真剣な討議がなされた年でした」(第21号、昭和43年3月、57ページ)という。年度末に発行された『ともえ』第21号には、PTAのあり方を巡る意見がことの外多い。意見の内容を見ると、コンセンサスは、小集団の学級活動を手がかりに会員の参加意識を高めPTA活動の活性化を目指す方向であったと思われる。
PTA学級委員長が「学級委員会はPTA活動の中心とならなくてはいけないのですが、現実の学級集会はどうでしようか。『だんまり』『出席者が少く、何時も出る人はきまってる』『時間の都合がつかない』等々の理由で、ついつい聞きそびれてしまう」(同号、9ページ)という現状に触れた後、委員会で対策を議論したことを述べている。関連して例えば以下の意見がある。学級単位の話し合いを通してPTAとしての共同性と実践に保護者が目覚める、それ自体が成人教育であるという趣旨だろう。
どこの学校においても、PTAが子どもの幸福を願って生き生(ママ)とした運営活動を実践している事は事実でありますが、そのPTAの一環として、自らの成人教育活動を支え、会員自身の重要な学習の場であることを確認しなければなりません。(中略)/もっと範囲をせばめた学級活動を考え、先生にすべてをおまかせしないで学級委員を中心として、会員同志(ママ)の話し合いを、どこまでも大切にしていくことによって子どもの問題をとおして親たちが、おたがいに感激しあい、広く高い思考性と実践性をもち、会員一人一人によってPTA全体が着々と活動するようになって、学校PTAを堂々と、理解できるようになる事でしょう。
(同号、24ページ)
これに対して、一つ前の号には、学級単位の活動を重視する方向からPTA不要論に至る意見もある。また、家庭外で職業を持つ女性の立場から、PTA活動との両立の困難を述べ、自由加入制に触れる意見もある。
大きな枠のPTAより、もっと範囲をせばめた学級と父母の話し合いの充実に努める方が重要ではないかと思います。先生と父兄の小さな話し合いがなくして大きな組織のPTAが充実するわけがないと思います。PTAの本筋は子供をよくする為に作られたものだと思いますがPTAとのひざを交えた話し合いの場をもっと作り家庭がよき教室であり、父母がよき教師になり後る(ママ)様に先生にお導き頂いて、子供を成長させる事に努めれば何の組織に頼る必要もないのではないか(後略)(第20号、昭和42年3月、51ページ)
たしかに、比頃(ママ)の母親は、主婦業に専念している人が少なくなってきている。例えば少人数学級の中で、毎年十名余りの委員を選ぶとすれば、私は務め(ママ)があるのでという理由で委員を断ることは正当視されない。とすると、随分大げさないい方だけど職業とPTA活動を両立させるためにはどうすればよいのだろう。
PTA活動が、学校後援会的なものから脱皮して、本来的な目的にかなった事業に専念している昨今であっても、私の心にはすっきりしないものが残る。
神奈川県のある小学校では、自由加入制を検討しているとのこと(後略)
(第21号、昭和43年3月、29ページ)
以上の問題状況は、この章の冒頭で触れた昭和末年頃を経て、今日にも通じると言ってよいだろう。
[図9-9] 家庭教育学級
出典:『港区の社会教育 昭和44年度』、p.13