〔(5) 終戦とその後〕

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戦争は8月15日に終わったが、疎開はすぐに打ち切られたわけではなかった。児童の復帰による食糧、住居事情の悪化を防ぐために、8月21日に東京都長官は疎開を継続するように各方面に依頼している(10)。疎開はその後2カ月間ほど継続し、多くは10月から11月に復帰した。ただし食糧事情が良好だった宿舎については、父兄の願いによって疎開を延長することもあった(乃木小学校)。
疎開中に保護者が死亡し、戦災孤児となってしまう児童もいた。両親が亡くなったある児童は宿舎であった寺院の檀家に養子として引き取られ、聞き取り時点(昭和60年)では、家業の建設会社を引き継ぎ、中学校のPTAで活躍している人物がいた(三河台小学校)。また、ある寺院では両親を失った孤児を長く預かった。児童はその後、東久留米に設けられた小山児童学園に収容されたが、そこで出会った者同士で結婚をした。住職が仲人を務めたという(赤坂小学校)。両親を亡くした3姉妹の児童を気にかけた疎開先の校医は、上京するたびに3姉妹と会って食事をごちそうするなどの面倒を見ていたという(本村小学校)。
関連資料:【通史編5巻】4章9節2項 終戦と疎開 学童の復帰