〔(3) 転入先での生活と学び〕

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だが、児童・生徒とも、配属された学級の児童・生徒とすぐに打ち解けることができた。つらい気持ちになっていた生徒も隣の席に「明るい女の子がいて、すぐに仲良しになった。こんなに早くうちとけるとは思わなかったので、涙が出るほどうれしかった」(中1、K・Y)。しばらくすると、放課後に遊ぶこともあった。南海小学校に転入した児童は友達にメンコを売っている場所に連れていってもらった。着いた先がタバコ屋で驚いたが、本当に売っていてさらに興奮した(小4、S・S)。勤労福祉会館に避難先を移した児童は、友達がたくさん住んでいるアパートのすぐ前だったので、学校が終わると一緒に遊んだ(小5、Y・M)。
一方の学習面では、進度と教科書の違いなどによって困惑する児童・生徒が少なくなかった。芝浦小学校に転入した児童は、まだ習っていなかった小数の割り算に戸惑った。国語は方言と共通語で習っていたが、当然そのようなこともなく、教科書も違ったので内容の違いに戸惑った(小4、W・C)。中学校は、ちょうど2学期の期末テストの時期であった。問題は受け入れ校と共有することになった(18)。教科書も違い、授業にも難しさを感じていた生徒は、「授業もわからないのにどうやって受ければいいんだよ。今でも大変なのに、その上テストなんて、ふざけてるよ、まったく」と率直な思いを残している(中1、K・Y)。中学校3年生は、生活が落ち着くと勉学のことが気になり始めた。避難所の消灯時間を過ぎてからは明かりのあるエレベーターの横で勉強に取り組んだが、いつもより落ち着かなかった(中3、K・H)。
大島の児童・生徒は、港区の学校と自身の学校との細かい違いに対する驚きを記した。まず学級の児童数が多いことに驚いている。「教室のつくえの数は泉津(せんづ)小の四年の五、六倍はありました」(小4、S・S)。さらにグラウンドがコンクリートで、狭かったことも驚きであった。グラウンドが狭く野球ができなかったことを残念がる児童がいた(小5、S・D)。この児童はその代わりに、サッカー、バスケットボール、ドッジボール、ピンポンなどをして、それはそれで楽しく遊んだ。
大島の教師は児童・生徒が転入学した学校に、数人ずつ配置された。芝浜中学校には、そのとき教師が作成した学校便りが数枚残されている[図10―5]。教師は交通量の違いによる安全への配慮や生徒の体調を気遣っている。また、休み時間に誰も臨時職員室に来てくれないことを不安に思いつつ、教室で友人と楽しく話していることを想像している。「たまにはサァーァ。いろいろ話しをしに来てよ! チェッ!」、「日記に言いたいあるいは聞いてほしいことドンドン書いてほしいなぁ! 返事も書くよ」と生徒の悩みや不安を方言交じりにくみ取ろうとしている。
また、受け入れ校である芝浜中学校の学年通信も残されている[図10―6]。全島帰島の直前の号では、教職員がどのようにして避難生徒を受け入れるべきか、議論を尽くした様子が「みなさんをお迎えするに当たって、『何をしてあげようか』『何をすべきなのか』と考えてみました。そして、分け隔てなく接することが一番良いのではないかということになりました」と短く記されている。


[図10-5] (上) 大島の教師による学校便り



[図10-6] (下) 芝浜中学校の教師による学年通信

学級便りなどを通して避難生徒にメッセージを送った。
出典:旧芝浜中学校所蔵資料