〔(1) 戦後新学制の成立〕

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戦後の新学制は、教育が目指すもの(理念)と、その理念を実現するために、どのような学校を設置してどのような内容を教えるか(制度)という二つの側面で、戦前とは異なるものになった。
戦後の教育理念は、日本国憲法と教育基本法という二つの法令を基礎としている。昭和21年(1946)の日本国憲法によって、日本は天皇に代わって国民が主権を持ち、国民の基本的人権が尊重される民主主義国家として再スタートすることになった。教育も当然、民主主義国家にふさわしい理念が求められた。教育基本法(昭和22年3月)は、日本国憲法の理念を実現するため、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」を育成し、「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」を創造する教育を行うことを明記した(旧教育基本法前文)。
戦前の教育は、教育勅語を理念的な根拠として、天皇家の運命を助ける天皇の「臣民」を育てるものとされていた(本巻第7章第1節参照)。それに対して戦後の教育理念では、国民の一人ひとりが個人として尊重され、一人ひとりの能力や個性の開花が目指されることになった。
昭和21年3月、アメリカの教育関係者で組織されたアメリカ教育使節団が来日した。使節団は1カ月の滞在の後、日本の教育関係者の協力を得て報告書を作成し、戦後の新しい学校制度について重要な勧告を行った。勧告はさまざまな側面に及ぶが、6・3・3制の実施、男女共学の実現、義務教育年限の延長は、教育制度に大きな変更を加える必要をもたらした。後に詳しく述べるように、小学校は戦前とは異なる位置づけとなり、新たに中学校が義務教育の学校として設置されることになった。
また、教育内容が画一的になることを避け、教師の教育の自由を尊重して、個人の持つ能力を伸ばすことが求められた。これは、新しい教育理念が、民主主義国家として個人や個性を尊重するものになったこととも対応していた。新しい学校制度は、昭和22年3月の学校教育法で具体化され、新制中学校はそれまでにない新しい学校であったにもかかわらず、翌4月から開校することとされた。
そして、戦後新学制の基礎となった日本国憲法・教育基本法・学校教育法は、国民の代表者による議論(当時は帝国議会)によって成立した。戦前の教育勅語も、教育に関する法令も、すべて天皇の言葉や命令として出されていたのに対して、法令の成り立ちもまた、民主主義国家としてのスタートにふさわしいものだった。
関連資料:【くらしと教育編】7章1節 「新教育」以前の学校教育
関連資料:【通史編1巻】序章3節3項 六・三制教育の発足
関連資料:【通史編6巻】5章2節2項 「教育基本法」・「学校教育法」の成立