改めて、「ゆうびんごっこ」の授業を見てみよう。授業は単に、教師から郵便の仕組みを習う、という形にはなっていない。授業中、子どもたちは自分の役割に従って、教室を動き回って活動していた。実は、この一つひとつの活動に学習の意味が込められている。はがきや便箋を買うのは計算、つまり算数の学習であり、手紙を書くのは国語の学習、そして活動全体を通じて郵便という社会システムを理解する授業になっている。子どもたちは、郵便の仕組みを疑似的に経験し、その過程で、計算したり、手紙を書いたりする必要に応じて学習していく。これを、教科書の順序に従って学ぶ「系統主義」の学習に対して、「経験主義」の学習という。
後に桜田小学校は、「桜田プラン」と呼ばれる学校全体の教育課程を発表する。桜田プランは「コア・カリキュラム」と呼ばれる民間教育運動の一つで、昭和28年の第6次案までに5度の改訂が重ねられた。コア・カリキュラムの実践を「ゆうびんごっこ」を例にして考えてみよう。子どもたちはまず社会科で、「郵便屋さんはどんな仕事をしているのだろうか」という問題を出発点にして、自分たちで調べたり、疑似的に活動したりする(6)。具体的な問題を設定して解決を目指すことから「問題解決学習」、あるいは子どもに身近な題材を核として学習のひとまとまりを構成することから「生活単元学習」と呼ばれる。国語や算数などは社会科の「周辺教科」と呼ばれ、社会科の学習で必要になった知識を学習したり、系統主義的に教科書の内容を学習したりする。「ゆうびんごっこ」で使う、手紙の書き方や、はがきや便箋を買う際の計算方法などに当たる。
社会科で、子どもたちは社会の仕組みを主体的・能動的に学び、将来、国家や社会を自分たちで作っていける国民に育っていく。社会科は、戦後の新しい教育理念に合致すると考えられていた。「戦後教育の花形」と呼ばれた理由はここにある。
さらに、経験主義の学習方法は、子どもの必要に応じた、ひいては子どもの興味や関心に従った学習を行うものだった。これは、20世紀に入って世界的に流行した、新教育と呼ばれる教育改造の理念を受け継いでいた(本巻第7章第2節参照)。戦後の社会科には、アメリカで行われている新教育の実践が、GHQやアメリカ教育使節団を通じて流入していた。その一方で、日下部が実践できたのは、日本における教育改造の動きである大正新教育の経験があったという事情も見逃せない。日下部の経験した「未分化教育」は、学習内容が教科の枠に分化していないのだった。つまり、コア・カリキュラムのように、子どもたちの問題解決学習を中心に、各教科の垣根を越えて知識を学習する方法だった。
問題解決学習のような経験主義の学習方法は、昭和20年代の後半にかけて、強い批判の対象となっていく。その理由は、子どもの主体性を重視するあまり、経験させることだけが目的になっている、系統主義的な知識の学習が不足している、ひいては子どもたちの学力が低下しているというものだった。桜田プランも例外ではなく、5度のプラン改訂に当たっては、系統主義的な基礎学力の充実が研究の焦点になっていった。桜田小学校では、保護者の中にも批判的な意見があった。批判に対して、当時勤務していた教員は、子どもたちには自分自身で問題を解決しようとする力がついていたと回想している。