雑誌における座談会は、作家の菊池寛が『文芸春秋』昭和2年(1927)3月号で徳富蘇峰を招き、行ったのが最初といわれている(1)。出席者が一堂に会することで、その場においても、後に出る記録においても、出席者同士の関係が見えやすい。また、シンポジウムなどに比べ堅苦しくなく、出席者が本音を話しやすいイベントである。座談会では、質問や前の話者の発言を受けて次の話者が発言をすることになるため、仮に筋書きがあったとしても、展開がその通りになるとは限らない。そのため、校誌のその他の記事に比べ、指導などによる内容の改変がされにくい(2)。また、本論で明らかにするように、座談会では中学校3年間における喫緊のテーマ、そして多岐にわたるテーマを設定し、真剣に語り合っている。つまり、校誌の座談会を分析することで、当時の中学生が経験した学び、持っていた意識や関心などをリアルに知ることができる。
昭和期に港区立中学校で発刊された校誌はすべて、座談会記録を掲載した号を含んでいる。現存している校誌からは、座談会記録は昭和24年から昭和63年発行のものまで、合計133本確認できる。生徒が参加して行う座談会は、昭和63年の城南中学校『あゆみ』第39号掲載の「わが城南中を語る―40周年記念座談会―」を最後に行われていない。平成期以降の座談会記録は、管見の限り、青山中学校『学園の友』第47号(平成9年11月)に教職員同士の座談会が掲載された1本のみである。本章では、一時期は活発に行われた座談会が、現在では全く行われなくなった意味についても考察したい。