港区立中学校の校誌に、初めて生徒が参加した座談会記録が掲載されたのは昭和24年(1949)である。前述のように、港区立中学校の多くは昭和22~25年(1947~1950)に開校した。西暦下1桁が7~0の年度に周年行事を開催し、併せて校誌の周年記念号を発行する、という10年1期のサイクルをおおよそ形成している。
座談会で取り上げられたテーマは大まかに分けても7種類と、多岐にわたる。①生徒会や委員会を主としたもの、②クラブ活動を主としたもの、③学校生活・勉強について主に語り合ったもの、④将来や生き方について話しているもの、⑤時事的なテーマや世相について意見を出し合ったもの、⑥映画やテレビ番組などの作品について話し合っているもの、⑦周年記念座談会、以上挙げたどれにも当てはまらないものもある。
本節では、昭和24~33年までを検討する。この時期は、いくつかの中学校では校誌が未創刊であることもあり、見つけられた座談会の記録は22本と、他の時期に比べて多くない。また、生徒会・委員会に関すること(4本)や、クラブ活動(3本)、学校生活・勉強(3本)といった、後の時期に頻出するテーマは、比較的少ない。
先に述べた、昭和24年に校誌に掲載された座談会記録は、『あゆみ』創刊号(城南中学校、3月)「鐘の鳴る丘に就いての座談会」、『若葉』創刊号(愛宕中学校、3月)「一年を顧みて」、『若鮎』第2号(北芝中学校、5月)「光を浴びて―中学生の抱負と希望について―」の3本である。
具体的に内容を見てみよう。「鐘の鳴る丘に就いての座談会」では、司会者である教員が冒頭で「…映画の影響は我々に取つて非常に大きなものであると考へ映画教室を設け、安く良い映画を我々に見せる様にしたのです」と述べ、映画批評会を行っている。生徒も「もつと内容を充実すれば良いと思います」「演技は上手でしたが、わざとする所が多かつた」など、映画のマイナス点も口々に列挙している。「一年を顧みて」は、学校生活全体の反省ではなく、校友会英語部の1年間の活動についての反省会である。英語劇「王様と乞食娘(ママ)」上演の反省や、英会話の学習法などについて話し合っている。「光を浴びて―中学生の抱負と希望について―」では、生徒だけでなく教員、PTAも参加して行っているが、「中学生の諸君には、文化国家、平和国家として起ち上つた祖国日本を承け継いで、『世界の日本』にまで築きあげる大切な使命がある」という司会の教員による呼びかけに呼応し、生徒から「私は文化国家としての文化の水準をもつと引き上げるために、教育の強調をはかる事が必要だと思います」「僕は歴史的な方面から日本的な美しい伝統をもう一度みなおして、再認識したいと思います」と主張している。加えて、「まだまだ日本人は経済方面の教養が低いと思います」「日本の科学的水準が非常に低いので、之を何とかしなければならない」「衛生思想がひくいので、もつと衛生方面の教養を国民の間にひろめたいのです」といったように、敗戦に至らしめた日本社会の問題を指摘し、向上させようという意気を見せている。戦後日本が目指すべき平和国家、文化国家の担い手、新しい教育への期待などが、生徒の発言から明白に読み取れる。言葉遣いは礼儀正しいものの、生徒の発言は教員と対等な立場から発せられたことも指摘しておきたい。