〔(2) 新制中学校を創造する主体として〕

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生徒会についての座談会は少ないが、生徒自らがそのあり方について真剣に議論している。例えば『みなと』創刊号(港中学校、昭和29年3月)「港中生徒会を語る」では、教師は加わらず、司会を含めた出席者9名の生徒で、「港中の生徒会を、もっと発展させるにはどうしたら良いか」と話し合っている。「全校生徒と生徒会が、少しかけ離れているのではないでしょうか」「一年生の時は入りたてで勝手がわからない。三年生になると試験勉強に追われて、とても積極的にできません。どうしても、中心になるのは二年生です」「生徒会は生徒のものだ、という自覚が生徒会を発展させてゆくと思うのです」など、その後も繰り返されることになる生徒会の問題点、解決に向けての心構えが発言されている。ただし、風紀に対する議論の中で、内容を決めているのは教員ではなく生徒会の中の規律委員会であることを確認した上で、「先生の手をわずらわせ、先生のことばでないと守らないようでは、今の時代の教育に反していると思います」という発言も出ている。風紀が守られないことへの問題意識はどの時期にも存在するが、しかし生徒自身が校則制定の主体であるという認識や、制定主体であるゆえに遵守すべきという規範が色濃く出るのは、この時期に特有のことである。戦後民主主義教育の理念を忠実に吸収し、実現しようとした証左であろう(3)。
なお、城南中学校は『あゆみ』第5号(昭和28年3月)「創立当時の城南中学校」、第6号(昭和29年3月)「教育座談会」、第9号(昭和32年3月)「特別記事 PTA懇談会」と、教員と保護者だけによる座談会をたびたび開催している。後の時期では、周年記念企画以外で生徒が参加しない座談会はまれである。教師、生徒、保護者が新しい中学校および中学校教育をつくり上げていく模索の途上であった。