学校生活・勉強については、『学園の友』第12号(青山中学校、昭和38年3月)「校内美化について」のように、具体的な生活課題について話し合うものが出始めた。もっとも、課題解決は生徒個々の心がけに還元されがちだった。教員からは、ごみ箱の設置や3年生の教室がきれいになったことなどを評価されながら、「割合程度の高い数学の問題の解ける位の頭を持ちながら、なぜ、社会につかわないか」と具体策がなかなか打ち出されないことを指摘されている。勉強については、『若鮎』第18号(北芝中学校、昭和40年3月)「みんなで考えよう 勉強について」に典型的であるが、勉強する目的そのものについて考える様子が見られる。進学率の向上やそれに伴う受験競争の激化などが背景にあると思われる。この座談会では結論として、数学や英語に加えて級友との協力や話し合いを通じて「違った意味での勉強をしている」、「世の中の人の為に役立つような人間になること」、現在の勉強は「中学生としての勉強であって一つの段階」にすぎず、いくつかの段階を経て「自分で勉強してきたことの目標がはっきりしてくる」などが出ているが、前の時期と比べ、将来の社会を形成するという意識は後退している。生徒たちが勉強する目的や積極的意義を見出すことが難しく、また学習内容自体の面白さを語ることもできない状況にあることがうかがえる。また、勉強を主たるテーマとして話し合う座談会は、校誌全体を通しても少ない。生徒同士がお互い競争相手となり得ることなどから、集団活動について話し合うことが多い座談会のテーマとはなりにくいのかもしれない。
この時期の座談会で目につくのが、赤坂中学校である。『あかさか』は、第7号から第18号まで毎号タイムリーな特集を組み、特集に合わせた座談会を企画し、記録を掲載していった。例えば第7号(昭和39年3月)では校誌改称・復刊に合わせて「伸びゆく赤坂」という特集を組み、語学演習教室(LL教室)など当時最新の学習施設が整った環境での学習状況について報告し合った(「ぼくらはこうして勉強する」)。第8号(昭和40年3月)には東京オリンピック(5)、第11号(昭和43年3月)にはユネスコ活動(6)を特集し、座談会を開いた。赤坂中学校の姿勢からは、生徒、教師ともに、座談会を企画・実施して校誌に記録を掲載することに学習効果を見いだし、活用していたと推測される。
新制中学校が確立し、軌道に乗ったこと、小学校と高等学校をつなぐ学校教育の一段階となってきたことで、生徒の意識が「教員と一緒に中学校を作っていく」ことから、「教員に教わりながら中学校における諸活動を上手に行う」ことへと変化していった。